2015年3月2日
これは『現代医療』(著者:現代医療社、1971年出版)に掲載された、長野準先生の文章です。 |
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私の歩んだ道(現代医療 1971; 3: 719-20)
人の定だめは兎角"フト"したことに始まることが多い。私が呼吸器病学を専攻するようになったのは,インターン時代に結核にかかって療養中,当時の貝田勝美助教授にめぐりあってからである。もし元気にインターンを通していたならば,恐らくは私は,今日外科か産婦人科方面の医者になっていたことであろう。私の今日まで歩んで来た道をふりかえる時には,どうしても故貝田勝美先生との交わり,先生よりご薫陶を受けた当時にさかのぼらざるを得ない。昭和28年秋,九大結核研究施設ができて間もない頃,当時大学院特別研究生として在籍していた私は,"これからの胸部疾患を研究するものは肺機能を知る必要がある。日本の新進の第一人者,笹本先生のところに行って来ないか"の指示を受けた。戦後の荒廃から立ち直りかけた許かりの年末に笈を負って上京,慶大の当時"ほ"号館笹本研究室を尋ねたのである。これがご縁で笹本先生を師と仰ぐことになり,日本におけるスパイロ開拓の祖,梅田先生,出張から帰ったばかりの横山先生との親交がはじまったのである。
慶大で教わった方法で,29年春九州で初めて人間の心臓にカテーテルを挿入したことを思い出す。当時は貝田先生も立ち会われたが,うまく肺動脈に入らないで中止してしまった。
先天性心疾患診断のため Cournand が完成した右心カテ法を,九州で先駆的に行ったのは肺機能研究者であったことになる。慶大式 N2希釈法による残気量測定装置を組み立てたり,バンスライク装置の動かし方の書物がないので,岸川先生とともに九大図書館から昭和初期の九大医報を借り出して2人で何とか組立て,動かし始めた。また日本でも6台目のショランダーを購入して,呼吸と循環1巻2号の笹本先生の解説を忠実にあてはめて,分析したのが昨日のように思い出される。研究施設内での肺機能研究室の創設が,ようやく軌道に乗ったのは昭和32年春頃であったろう。
医局の勉強会で残気量,残気率を解説しても,臨床検討会で応用する医師がなく,専ら内外の教育,啓蒙に時間を費やすことも多かった。
当時東北大の金上先生に刺激されて,昭和53年末COアナライザーを購入して間もなく,渡米留学した。肺機能の神様といわれる Dr.Comroe の研究所に,最初の日本人として行ったわけであるが,丁度京大の中村先生とご一緒であったし,2年目には佐川先生も加わられた。肺拡散能力測定を Forster 変法で精力的にやっていたので,まずその section に入って習い覚え,同時に計算のヒナ型,用紙などのコピーをセッセと日本に送って,残した研究室でもこれを軌道に乗せていた。次いで,Dr.Young (現ワシントンD.C.) とともに,イヌにセロトニンを負荷して肺拡散能力を測定して,肺毛細血管床の変化を研究した。2年目は肺水腫について alloxan と pressured のそれを犬に作って,その成因学的研究に取り組んだ。
1週に1度の十分に準備した実験,コンファレンス,家族との生活のみを考えれば良い滞米期間は,恐らく一生忘れえぬものである。東北大仲田先生が Dr.Riley のところから帰国途上,サンフランシスコに立ち寄られ,佐川先生,私と3人で実験したことなど,案外日本国内より外国であったからできたことかも知れない。
Dr.Staub について液化プロパンによる冷凍固定法を学んで帰国した私は,何時のまにか肺循環方面の研究,肺の機能と構造の研究に取りくむようになってしまった。昭和41年広島市での第6回日本胸部疾患学会で,長石教授司会の肺循環調節機構のシンポジウムに,佐川,仲田,吉良先生とともに参加させていただき,これがさらに第9回同学会(京都市)でも同じメンバーで,同題のシンポジウムを再び長石先生から命ぜられる機縁に発展した。肺胞の機能と構造との関連についても昭和42年第17回日本医学会シンポジウムに参加させていただき,第8回日本胸部疾患学会(名古屋市)では特別講演の機会を日比野会長から与えられた。その間の仕事を手伝っていただいた広瀬君は Dr.Stein と Dr.Said に招かれて渡米し,4年間の滞在で肺循環の調節から肺の非呼吸機能の研究へと発展させている。彼の帰国が待たれる。
昭和42年5月急なお話で九大講師より国立療養所屋形原病院(現南福岡病院)院長に転出した。大学という大きな歯車の歯の1つとしておればよかった立場から,小規模ながら400ベッドの国立施設の頂点に立たされたわけである。生まれてはじめて管理者のトップとして,労組との団交なるものに出て,大学内で知り得なかった世の中が解ってきたような気もする。しばらくの間環境の激変で生活のパターンが狂っていたが,ライフワークの情熱は消さなかった積りである。水原,鶴谷,松石,小山田の諸君が相ついで教室から赴任してくれて,従来からの肺の機能と構造との関連についての研究を再開した。これは昭和44年国立病院総合医学会の特別講演の機会を与えられて,軌道に乗ってきたと思う。臨床面では気管支喘息,肺気腫をはじめとする非結核性疾患を中心にした呼吸不全センターの整備を行なった。その形態,機能,アレルギー,疫学の研究班によって,ようやくその成果を学会に問えるようになってきた。
昨秋から厚生省サイドとして研修医を引受け,医長以下のスタッフでその研修に力を籍しているが,今秋からは国立大村病院の研修医もロテートの一環として,当院で呼吸器病学を学ぶことになっている。
笹本先生のご命令で今夏第11回臨床肺機能検査講習会を私が世話して開くが,私のおあずかりする当国立施設を,九州地区における肺機能研究のセンターとして育成し,発展させたいと思う昨今である。