中野仁雄先生に感謝
新5回生 浅生 慶子
中野仁雄先生の追悼文を書くことなど想像もしませんでした。
中野先生がお亡くなりになられた、とみのり会の副会長島ノ江栄子さんから電話がありましたが信じられませんでした。
先生とのご縁は、私が国立小倉病院附属助産婦学校在職中当時の産婦人科医長津田裕文先生(現在門司にて開業)が学生に講義をしてくださるようお願いして下さった時からであったと記憶しています。その後、山村智恵子先生の後任として九州大学医療技術短期大学部助産学特別専攻に出向することになりました。
赴任して教授にごあいさつに伺うと、笑顔で「心配することはないから、いい学生を育ててください」と励ましていただきました。
私は助産婦学校の卒業生ではありましたが、九州大学病院で勤務したことがないので不安な気持ちでいたことを察してくださったのでしょう。その折、先生が仰言ったことで忘れられないお言葉があります。「僕も助産婦学校の校長になりたがったが、制度が変わってなれなかった」と。助産婦学校時代は、国立大学附属助産婦学校の校長は、産婦人科の教授が学校長でした。短期大学部となり、その制度はなくなりました。
先生には、毎年助産師学生に特別講演をしていただきました。当時先生は厚生省の委員をしておられましたので、学生には新しい情報を伝えてくださいました。
母子保健事業団発刊の「わが国の母子保健」は、私が退職するまでテキストとして使いました。
先生は学者としては厳しく、時折叱られました。私が教授室の前にいると小柳孝司先生が「また、お説教」と笑いながらご自分の部屋に入って行かれたこともありました。
先生は、お酒と煙草がお好きでした。酔うと驚くようなことをされることもありましたが、私は酔ったふりをして、人を観察しておられたように思えました。先生は頭の良い方で、厳しいと思うことも度々ありましたが、ご両親や弟さんのお話をされるときは優しいご子息でありお兄さまだったと思います。時にはお茶目な先生だと感じたこともありました。
みのり会百周年記念同窓会の時には、助産師教育もこんなにご存知だったのかと思う良い講演をしてくださいました。祝賀会では、正本宗子先生と嬉しそうにダンスをされたお姿が最後になりました。今は久永幸生先生とお二人で煙草をふかしながら、後輩や私達ことを見守ってくださっていることでしょう。
みのり会会員一同、心から感謝申し上げます。